Siquijor Island にて

4月 02, 2014 General yokoyama No comments

※当記事は以前雑誌『怪処』へ掲載した原稿のロングバージョンです

 島に近づくと船は急に揺れだした。セブシティを出発し、ボホル、ドゥゲマテを経て、船はシキホール島に向かっている。ドゥマゲテまではベタ凪に穏やかだった海だが、人々が上陸する事への不快感に島が船をゆらしているとも感じた。
 筆者は2013年の4月、フィリピンのシキホール島(Siquijor Island)へ行った。もしフィリピン人の友人が居たら「シキホール島を知っているか」と訊いてみてほしい。フィリピン方は訊かれて困惑したような表情をうかべるのではないだろうか。シキホール島は国随一の〝ミスティック・アイランド〟としてフィリピンでは恐れられている場所なのである。
 筆者が東南アジア通の知人と旅行について話していた折「オカルトならフィリピン」と教えてもらい、さらに「オカルトならフィリピンと言われたのだが……」とフィリピーナの友人、アリーサに尋ねた際に「それならシキホール島ね。シキホールの映画もあるよ」と教えてもらった。同時に「絶対に行っただダメ。運良く帰ってこれても自分が誰かもわからなくなってしまうよ……」と忠告された。忠告というより「行かないで」という懇願に近い雰囲気であった。この懇願してくれるような感じがフィリピン女性の魅力である……。話はそれたが、紹介された映画『Siquijor -Mystic Island-(シキホール・不思議な島)』を見た。これがアジアらしい不気味な雰囲気あふれる実録風のホラーであり、救いの無さが島の恐ろしさをよく表す秀作である。シキホール島がフィリピンにおいてどのように認知されているのかがよくわかる映画であった。加えて『TIK TIK -Aswang Chronicles-』という映画もシキホール島を舞台にした映画と言われているが、こちらは痛快なアクションホラーという趣である。しかし冒頭のトライシクルに乗り合わせた女性の不気味さ、そして劇中島民の一部が化け物として描かれている辺りにフィリピンにおける島への恐れの感覚がよく伝わってくる。

 ところで筆者のフィリピン行きにはシキホール島訪問を含めていくつかの理由があった。インターネットを通じて知り合ったマリゼルという女性に会う事、マニラの心霊スポット巡り、もちろんシキホール島の訪問、そしてシキホール島に伝わる最強の「惚れ薬」をさがす事、最終的にその惚れ薬を使ってマリゼルを私に惚れさせ、恋愛を成就する事である……。
 マニラに着き、空港まで迎えに来てくれたマリゼル嬢との面会を果たす。マリゼルも筆者との出会いを喜んでくれた。インターネットを通して知り合った女性との海外での待ち合わせに成功し、得もいわれぬ感激に心が震えた事は言うまでもない。旅行の出だしは上々である。スカイプの画面上よりもはるかに、はるかに美しいマリゼルの姿に到着早々「勝った」との実感を得た。もちろん何に勝ったのかはわからない。
 明けた翌日、マリゼルへの恋慕の情に後ろ髪を引かれながらシキホール島への中継地点であるセブへと向かった。シキホール島へと向かう筆者をマリゼルはとても心配してくれた。曰く「みだりに食べ物を口にしてはいけない」とか「人と目を合わせてはいけない」とか……。どこにブラックマジックが潜んでいるかわからないと言うのだ。そして「マナナンガル(Manananggal)」という女の姿にコウモリの羽の生えた上半身だけの妖怪が居るから絶対に夜は出歩いてはいけないとも……。「うんうん、僕は大丈夫」と半笑いで返す筆者に対してマリゼルはあくまで真剣であった。

 中継地点のセブに着く。正確にはセブシティと狭い海峡を挟んで隣接するラプ=ラプ市にて知人と会い、島についての情報収集をしながら過ごした。やはり一様に「食べ物に気をつけろ」と言う。食べ物を使ってあなたに魔術をかけてくるから、と。セブ・シティ在住のエリンダが話してくれた呪いがかけられた飲み物を飲もうとしてグラスを掴んだとたんにダイヤの指輪のそのダイヤモンドが割れて弾け飛んだとの話が特に印象的であった。他、マナナンガルをはじめティキバラン(Tikbalang)、カプレ(Kapre)、チャナック(Tiyanak)など島に居る妖怪の話を聞いた。妖怪に至っては特にシキホール島特有のものでもないはずなのだが、「怖い」というだけでブラックマジックも妖怪も一緒くたにされてしまっている感じもある。皆一様に島を畏れており、しかし嬉々として真偽の疑わしい噂話を口々に語ってくれた。怖い話というのは国が違えども共通した興味の対象という事である。
 シキホール島自体はセブシティからそうも離れていないのだが、暗黒のもやに包まれた正体不明の場所というイメージを持たれているようであった。私もひとりは心細いと思い、ラプ=ラプ在住の知人に「一緒に島に行ってくれないか」と誘うも「島に行った事が隣人に知られると困る。島に行くことは誰かを呪いに行くことでもあるから……」と断られてしまった。フィリピンの方々も皆怖い話が大好きでワイワイと話してくれるのだがその実、島への畏れの感覚は真剣味充分なのである。

 朝6時セブシティ発の船に乗り、昼過ぎに念願のシキホール島への上陸を果たす。周囲約80km。日本で言えば鹿児島県の徳之島と同じくらいの大きさであろうか。フィリピン中部のヴィサヤ地方にあり、ボホル島、セブ島、ネグロス島、ミンダナオ島に囲まれて位置している。自治体としてはこの島だけでひとつの州をなしており、人口は8万人強。さんざん「魔の島」のような書き方をしてきたが、実際に上陸してみるとパラダイスそのものという印象である。輝く太陽、青い空と海、白い砂浜、ヤシの木、コンビニなどというものは一軒も無く、歩けば人懐っこい子供たちが笑顔で挨拶を投げかけてくれる……。しかしこの明るい光の強さが影を色濃くさせるのだろうか。このどこまでも平和な環境の中に特有の怪しさを見る思いでもあった。
 実は島には日本人の方が複数人ご在住である。中でも原田さんという方が〝ヴィラ・マーマリーン(Villa MarMarine)〟というコテージを経営されており、日本のテレビでも紹介されている。日本人が経営する宿がある安心感もあってか、フィリピンの中心地からは離れているにもかかわらず日本人の訪問者も多いとのこと。筆者も例に漏れずこのマーマリーンにお世話になった。直前に予約を入れたにもかかわらず快く受け入れていただき、しかも「オカルトの取材で……」という筆者のリクエストにも応えてくださった。宿に着いて筆者が何も言う前から現地のスタッフの方が島で一番ポピュラーなボロ=ボロ・ヒーラー(Boro-Boro Healer)であるコンシン・アチャイ(Consing Achay)さんをご案内下さった。筆者はバイクを借りてすぐにアチャイさんのところに向かった。日本の免許を持ってさえいればバイクを貸し出してくれるのだ。
 荒れた路面に面食らいながらもボロ=ボロの家に着いた。そこは山の稜線の上の開けた場所にあり、非常に気持ちがよいところである。日本的に言えばここが「イヤシロチ」ということであろうか。場所は素晴らしいのだが、このボロ=ボロの家は情緒の面で問題があると言えばある。と言うのも下世話な話、このボロ=ボロのお母さんが人気ヒーラーとしてかなり稼ぐので、息子さんやお孫さんが「お母さんが生きているうちに……」と、ヒーリングの治療場のま隣にカラオケバーを作ってしまったのだ。非常に神秘的な雰囲気あふれるボロ=ボロなのだが、タイミングによっては大音量のカラオケを聴かされながら施術を受けなければならないのだ。

 前後するがボロ=ボロについて説明しなければならない。「ボロ=ボロ」はシキホール島ではポピュラーな民間療法である。ある意味シキホール名物と言えばボロ=ボロと言っても良いだろう。使う道具はコップと石と細めの竹の筒で、石の入ったコップに水を注ぎ、それを患部に当てがい、竹をストロー様にしてヒーラーがブクブクと息をコップの中の水に吐く。すると体の中の「悪いもの」が水の中に移り、コップの中の水が濁り、ごみが浮く。これを数度繰り返し、水が濁らなくなったら「悪いもの」が取れたということになる。
 筆者は旅行前からやや便秘気味であったため、まずは腹部をやってもらった。便秘という理由が理由だけにそれこそ見る見るうちに水が茶色く濁ってゆくのを見て何とも言えない申し訳ないような気持ちになったが、水を捨てるのを2度繰り返し3度目のブクブクでは水は濁らなくなった。最後は患部に薬草を漬け込んだオイルらしきものを塗り、呪文を唱えた後に息を吹きかけてくれる。この辺も非常に神秘的なのだが、カラオケにかき消されて呪文の音が全く聞き取れず雰囲気のかけらもないのが残念であった。結果的に言うと夜には便秘はすっかり解消されてしまった。
 せっかくだし筆者もカラオケは嫌いでもないので、隣のバーに入り込み「俺にも歌わせてほしい」と頼み、ローリング・ストーンズの『アンダー・マイ・サム』と『アズ・ティアーズ・ゴー・バイ』の2曲を熱唱し、宿への帰路についた。
 マーマリンへの帰途、島で一番の街であるシキホールに立ち寄り散髪をした。筆者は髪が腰まで届く長髪だったのだが、ズバッと60-70cmほど切った。フィリピン行きを決めてから切るならシキホール島と思っていたのだ。というのも「髪はシキホールの魔女に売っちゃったよ!」というジョークをマニラで筆者を待つマリゼルに話すためである。
 マーマリンへと戻るとコテージのオーナーである原田さんから夕食のテーブルに招いていただいた。筆者のオカルト質問攻めに嫌な顔もせず丁寧に応えてくださり、島の歴史や心霊スポット、島に点在するヒーラーをご案内いただいた。もちろん惚れ薬のありかも……。夕食後はスタッフのマイケルさんとエリックさんを紹介していただき、引き続き島の歴史や子供の頃おばあさんから聞いたと言う怪談を話していただいた。ブラックマジックに関してもしつこく食い下がってマジシャンの居場所を問いつめたものの「あるとは聞くが島の人でもよくわからないんだ……」と濁された感もあった。ブラックマジックに関しては島の中でもタブーとされている雰囲気を感じた。
 島の歴史とオカルトという点では、島民自体が自衛のためにオカルト伝説を利用した面もあるとの事である。古くは異教徒から島を守るため、今もなお都会に出て「シキホール出身だ」と言えばどんなギャングも怖がって手を出さないとのことである。また今もシキホール島の名物のひとつとして蛍が群生していることがあるのだが、古くはそれこそ無数に蛍が居り、対岸のドゥマゲテから島全体が燃えてるかのように見えたことから、フィリピンを占領していたスペイン人をして「火の島」と呼ばれ恐れられたと言う。「シキホール島=オカルト」と言われる事に関して、島で生活する彼らが半ば苦笑、半ばプライドを以て応える事が印象的であった。「まんざらでもない」といったところであろうか。
 
 島について二日目、筆者は原田さんに教えていただいた魔術師と心霊スポットを巡って島を一周した。
 まずは惚れ薬を作っているというアニー・ポンセ(Annie Ponce)さんを訪ねた。他にも惚れ薬を作っている方も居られるのだが、ポンセさんの惚れ薬は良心的な価格設定であると原田さんからご案内いただいた。なんでも彼女のお父さんが大ポンセと呼ばれる大物魔術師だったとの事で、大ポンセ亡き今は娘であるアニーさんが跡を継がれている。ポンセさんが居るサン・アントニオの街は島でも内陸に位置し、こじんまりとしながらも美しい教会を擁したミスティックな雰囲気にあふれる町である。魔女の集会が夜な夜なサン・アントニオで行われると言う。フィリピンでオカルトと言えばシキホール島、シキホール島でオカルトと言えばサン・アントニオと言われる場所なのだ。ポンセさんの家は実際にはサン・アントニオから少し外れた所にポツンと立っている家であった。当初は惚れ薬を求めるつもりであったのだが、訊くとマッサージもしてくれると言う。マントをかけられ薬草で燻された後に薬草を漬け込んだココナッツオイルで上半身をマッサージしてもらったのだが、これが非常に気持ち良い。力いっぱいにグイグイとマッサージしていただき、事後は非常に爽快であった。惚れ薬はもちろん、健康用に調合された薬草類、護身用のアクセサリー等の販売もされており、お土産も兼ねて数点を求めた。
 次にブラック・サタデーの時期に島中のヒーラーが一堂に会するヒーリング・フェスティバルが行われるという島の頂上部でもあるバンディラーン公園(Bandilaan National Park)に向かった。残念ながら2−3日の差でヒーリング・フェスティバルには間に合わなかったのだが、辺りは保護林になっておりジャングルを残す鬱蒼とした熱帯林で雰囲気は最高である。筆者が島の頂上部の展望台に登りマナナンガルの出現を待っていたところにマニラのマリゼルから「どこで何をしてるのか?無事か?」との電話がかかって来た。シキホール島を彷徨っている筆者を本気で心配しているのである。筆者が「島の頂上でマナナンガルを待っている」と言うと「昼間にマナナンガルは来ないよ!」と笑われた。
 マナナンガルとの出会いを諦め、来た方向にやや戻る形で「400年の木」と呼ばれるご神木であるバレテの木を目指した。バレテの木とはガジュマルのように気根が枝から垂れ下がる樹木で、沖縄でガジュマルの木にキジムナーが棲むと言われるのと同じく、フィリピンではバレテの古木には妖怪が棲むと言われているのである。マーマリーンの原田さんからも、日本人旅行者の方がこの400年の木の前で写真を撮った際に左肩付近に女性らしき影のような者が写り、心霊写真が撮れたとはしゃいでいたら翌日テニス中に転倒し左肩の骨を折った……という不気味な話を伺っていた。
 実際に400年の木と言われるだけの事はあり、周囲15m以上はある巨大な木である。幹だけでこの大きさなので垂れ下がる気根の迫力もなかなかのものである。妖怪が棲むと言われるとそれもさもありなんと言う雰囲気が漂っていた。周りはちょっとした公園のようになっており、水を湛えたプールが木の根っこに触れるように据えられている。近所の子供たちがその水辺で遊んでいた。
 筆者もこの木の裏側に回り込んでバシャバシャと写真を撮っていたのだが、突然「ズズズー、ドン」と木から何かが滑り落ちるような音を聞いた。誰かが足を滑らせたのかな?と思ったのだが、辺りには誰もいない。遊んでいた子供たちの姿も無い。木の他には滑り落ちるようなところなど何も無いのである。間違いなく木に棲むサムシング・エルスからの警告であろう。怖くなった筆者は木を離れ、前日にも訪問したボロ=ボロヒーラーであるコンシン・アチャイさんを再び訪ねるべく、逃げるようにバイクを走らせた。
 アチャイさんを再び訪れ、今度は筆者の最大の問題点である頭部をボロ=ボロで施術していただいた。頭部とは脳及び顔面の事である。私の場合、当該部位に問題は非常に多い。もちろんコップの中の水は濁り、ゴミが浮いた。やはり私の頭部は「悪いもの」だらけであった。濁った水を見てニヤリと笑ったアチャイさんに戦慄したが、同時に「これで筆者の頭部も治った」という確かな実感も得た。
 インタビューも試みた。曰くボロ=ボロを始めたのは1968年とのこと。どうして力に目覚めたのかと言う点に関しては答えが得られなかった。失礼を承知でお孫さんらしき助手を務める方にあなたが跡を継ぐのかと尋ねたが、答えは「ノー」であった。
 最後の目的地であるもう一人の若きボロ=ボロ・ヒーラー、ジェネロ・ソーマルポン(Jenero Somalpong)さんを訪ねるべく島の真反対へバイクを急がせた。ソーマルポンさんの家はかなり判りにくく探すのに少し苦労したが、人懐っこい島の人々に助けられなんとかたどり着くことができた。お腹と頭はアチャイさんにやってもらったので今回は積年の悩みの種である肩こりを診てもらった。ボロ=ボロの道具ややり方はアチャイさんと同じだが、やはり若いだけあってブクブクの勢いが良い。そしてこちらでは水は濁らず、黒いゴミがコップの中に発生する。4度の水の交換を経て施術は終わった。年齢は現在27才で14才の頃からボロ=ボロをされているとのこと。おじいさんからボロ=ボロのやり方を教わったとのことである。
 これで予定の行程は終わり、悪路を100km以上走る強行軍にさすがに少し疲れつつ、途中ラレナ(Larena)という港に立ち寄り焼き鳥を食べた。豚の串と肝の串を一本ずつ食べたが、これが痺れる旨さであった。筆者も数々の焼き鳥を食べてきたが、このオヤジはただ者ではない腕を持っていると感じた。焼き鳥にもにもマジカルなパワーが込められているのではないかとさえ思える、そんな感慨が深い夕暮れであった。

 宿に着き、食後、原田さんに蛍狩りに誘っていただいた。以前には蛍が群れる木が並ぶ「蛍街道」とでも呼べるような蛍の群生地があったらしいのだが、道路拡張で開発され木が倒されてしまったとの事。でも必ず蛍を見る事は出来るからとも。メンバーは原田さんを含むスタッフの方3人と宿泊客のニュージーランド人の方と筆者の5人。群生とまではいかないが蛍はちらほら見ることができた。蛍を探しつつ、ニヤリと笑いながら原田さんが「サン・アントニオに行ってみましょうか?魔女が集会をやってるかもしれません」と言われ、一路夜のサン・アントニオを目指した。やや夜が早かった事もあってか魔女の集会どころか若者達が集まってワイワイと賑やかにやっているところであった。「魔女はいませんねー」なんて呑気に笑っていたのだが翌朝、同行したニュージーランド人の方のフィリピン人の奥さんから「魔女を捜しにいったのか?」とちょっとした剣幕でなぜか私が怒られてしまった。フィリピンの方にとって、冗談半分で魔女を探しに行く事は笑って済まされる話ではないのだ。
 
 島からマニラに戻り、マリゼルに散髪した姿を見せ「髪を魔女に売ったよ!」とうそぶいた。その後もマリゼルを引き連れて嬉々としながらオゾン・ディスコやバレテ・ドライブ、パコ・パークなど市内の有名心霊スポットを観光した。その挙げ句、最終的には「怖いです。あなた、私に会いに来たんじゃないね。オバケに会いにきた。あなた悪魔の友達……」と言われ、敢えなくフられてしまった。たしかに彼女は神を畏れる敬虔なカソリックの信者ではあったが、まさかオカルトを理由にふられるとは思っていなかった。思い上がりと言われればそれまでだが、マリゼルとの関係は盤石だと思い込んでいた……。そんな思い込みにあぐらをかいてマニラで惚れ薬を使うのも失念していた。後で先述のフィリピーナの友人であるアリーサに電話をかけてもらい、私をフッた詳しい事情を訊いてもらったのだが「とにかく髪を魔女に売ったというのはシャレになってない」とのことであった。読者の方々にも注意を促したいのだが、オカルト趣味がちょっと小洒落たヒップな趣味であるなどと考えるのは危険である。特に習慣の違う海外においては全く理解されない事もある事を教訓として遺しておきたい。
 蛇足ながら、帰国後慌てて惚れ薬を使いだしたところ、非常にモテている。筆者は現在これまでの人生最高の、いわゆるモテ期を謳歌中だ。肝心のマリゼルには袖にされたが、惚れ薬の効き目には大満足している。
 
 
 参考映像:

 
 ヴィラ・マーマリーン(Villa MarMarine)http://www.marmarine.jp/
 原田淑人氏が経営するシーサイドコテージ。最高の環境と親切なスタッフが迎えてくれる。
 コテージ内にはレストランもあり、新鮮な海の幸を使ったメニューが充実している。
 原田氏はNGO「シキホールズ エンジェル」の運営を通して現地の教育支援も行っており、島内ではダーマン(Dagman)と呼ばれ親しまれている。

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